2016年12月14日水曜日

琉球絣の里はゆるやかな時の流れで村から町へ

今から約四百年前の1609年、琉球が島津に侵攻され、捕虜となった尚寧王に付き随って、鹿児島に赴いた垣花村の儀間真常が木綿の種子を沖縄へ持ち帰りその栽培法と木綿布の織り方を広めたとされています、産業の大恩人である儀間真常に対する敬意も込められ今でも組合の役員一行は儀間真常の墓前への御願建(ウガンダテー)を毎年の恒例としてます。 戦前まで小禄、豊見城、垣花や他の各地で織られたと言う絣入りの布が戦後の米軍基地依存の経済や他の現金収入で一時期衰退した中で那覇の東南に隣接した南風原では、農業、織物以外に産業に乏しく脈々と琉球かすりと南風原花織が織り継がれてきた、那覇を取り巻く他の町村が都市化の速度を早める中でも、琉球かすりの里はゆるやかな時の流れで村から町へと、その遅い歩調も幸いした、 分業体制を確立し、職人が腕を磨き量産出来るようになり一大産地になったのは恩人、儀間真常のおかげである、墓前を後に一行は数年に一度、儀間真常の直系の子孫である方を訪問し仏壇にお供えに行きます。

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