2012年12月9日日曜日

南風原花織喜屋武八枚の綜絖掛け

昭和30年代沖縄県内の他の織物産地が出遅れる中、琉球かすりが突出して景気の軌道に乗れたのは、先輩方の並々ならぬ努力と役場や商工会等の支援、製作工程を分業にした独自の後継者の育成、特に糸や針金で出来た既製の綜絖に頼らず一貫して手作りで綜絖掛けをした事等が有ります、踏み木が軽く、風呂敷にくるめばコンパクトにまとまる掛け綜絖の経巻はバスしか交通手段が無かった時代にも出機(外注織)を増やしました、その後大きな振幅の景気変動が3回ほどありましたが原始的な手作り綜絖は親から子へ孫えと絣が低迷すれば南風原花織等へシフトしながら伝承しています、国内の織物産地でも結城紬や越後上布の居坐機以外殆ど見ることが無い掛け糸掛け、今では分業の時代は過ぎたけど琉球かすりが将来、重要無形文化財の指定を申請することがあれば条件の一つに入れたい。

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